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軍艦島について

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概要・年表

軍艦島とは

「軍艦島」とは、長崎港から南西約19kmの海上に浮かぶ孤島「端島」の通称である。

1890年(明治23年)から三菱の経営によって主として八幡製鉄所に向け製鉄用原料炭を供給し、日本の近代化を支えてきた海底炭坑の島である。

当初、この島は、草木のない水成岩の瀬にすぎなかったが、採掘技術の発達とともに、島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張を繰り返し、今日の島の形状となった。

炭坑の開発と並んで従業員のための住宅の建設が盛んに行われ、1916年(大正5年)以降高層鉄筋アパートが、次々に建設された。

最盛期5,000人を超える人口を擁した高層鉄筋アパートが島内に林立して、さながら海の要塞の観を呈し、軍艦の「土佐」に似ているところから「軍艦島」として知られるようになった。

昭和30年代後半から、エネルギー改革の嵐を受け合理化が進み、1974年(昭和49年)1月15日閉山、同年4月20日に無人島となった。

年表

1810年(文化7年) 端島で石炭発見(高島では、1695年に石炭発見)。
草木のない水成岩の瀬にすぎなかった。
1870年(明治3年) 天草の小山秀氏が、端島砿の開坑に着手。
その後、深堀領主鍋島孫六郎等が経営した。
1887年(明治20年) 鍋島氏が、第1竪坑を開坑(44mまで開さくし、明治30年坑内火災により閉鎖された)。
1890年(明治23年) 三菱の経営となる。
三菱が、鍋島孫六郎より10万で買収し、高島の支砿として明治24年から採炭を開始した。
1895年(明治28年) 第2竪坑が開坑(168mまで開さくし、1934年(昭和9年)に改修が完了、追掘616mに及び、閉山まで採掘した)。
1896年(明治29年) 第3竪坑を開坑(161mまで開さくし、1935年(昭和10年)まで採掘した)。
1916年(大正5年) 日本最初の鉄筋高層アパート完成。
1925年(大正14年) 第4竪坑が開坑(353mまで開さくし、通常は、排気用として使用、第2竪坑に支障がある場合はその代用として使用され、閉山まで採掘した)。
1934年(昭和9年) 端島小学校校舎が完成。
1941年(昭和16年) 年間出炭最高記録41万1,100トンを達成。
1945年(昭和20年) 石炭積込中の白寿丸が魚雷を受け沈没する。
1955年(昭和30年) 高浜村端島と高島町が合併し、高島町端島となる。
1965年(昭和40年) 三ツ瀬新坑より出炭開始(閉山まで採掘した)。
1974年(昭和49年) 端島砿が閉山し(1月15日)、同年4月20日に無人島になり、現在に至る。
1991年(平成3年) 台風19号により護岸が決壊(3箇所)したが、翌年復旧した。

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